山本玄峰老師

山本玄峰老師(やまもと げんぽう) 1866年〜1961年

和歌山県本宮町湯峰温泉 生まれ
象徴天皇を鋭く示唆した高僧として知られれている。

                                              高野圭介


「玄峰塔」
 湯峰温泉に足を入れたとき、「玄峰塔」が聳えていた。
「いったいこれは?」少なからぬ興奮を覚えて、宿舎に向かいました。

宿の亭主のお話しで、徐々に全容が明らかになってきました。

cf 山本玄峰老師


玄峰老師の
墨跡


         

老師の言動録



四国の名刹・山本和尚に育てられ、
ひとかどの和尚となった玄峰はソウルで山本奉文閣下に面会した。

閣下は老師に「人事を尽くして、天命を待つ」と揮毫をお願いした。

 老師はややあって、「申し訳ないが、それは書くことは出来ません。
天命に従って、人事を尽くす。このようになら書けます」と言った。


玄峰老師が修業の眼目は次の二言に尽きる

「性根玉(しょうねったま)を磨け、陰徳を積め」 玄峰老師


玄峰がよく引用した善の奥義を説いた和歌一首

「心こそ 心迷わす 心なれ 心に心 心許すな」 北条時頼


老師は平素天皇にご進講されていた。
昭和20年、日本は一刻も早く、戦争を止めなければならぬ。
今となっては、負けて勝たねばなりません」。と、平和を説いた。

 ポツダム宣言に苦悩する宮内庁から使者が訪ねてきた。

老師は「天皇からですか?」と、問うた。事態を察知していたのである。

「終戦の詔勅」に「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言を
進言したのには使者も驚いたという。



象徴天皇を鋭く示唆した高僧

新憲法における天皇の地位については
「天皇は空に輝く象徴みたいなもの
」と進言し、

天皇の権力で派閥の抗争を始めることを戒められたという。